2006年 12月 09日
播淡連絡汽船 悲劇の航海
【せきれい丸慰霊塔】
b0095299_2043364.jpg今から61年前の今日、小さな漁師町に忘れる事の出来ない悲劇があった。
終戦後まも無い1945年12月9日午前9時5分:運命の航海に出航する。
連絡汽船「せきれい丸」34t・全長20m・幅4mの木造船、乗船定員100人。
その3倍強(349名が乗船)

昭和20年 終戦の折、物資が無く焼け野原の神戸や明石の闇市へ買い出しに向かう人で港には乗船客で溢れていた、
風が強く海は大荒れの明石より1便「せきれい丸」は無事 岩屋港に着くが、
2便の岩屋発は強風の為 「佐多船長の判断で欠航に!」しかし乗船客に「船を出せ!」と会社と船長が脅され「せきれい丸」は強制出航する。
淡路島の最北端にさし掛かると強風と高波により機関室に海水が浸入 機関停止、船は木の葉のように煽られ転覆、松帆の沖合約1.5㌔で沈んだ。


強風と荒れた海へ・・・地元の漁師が危険を承知で漁船を出し救助に向かい乗船客を助け・・・、
「せきれい丸」の佐多清栄船長(当時49歳)を見つけ救助のロープを投げたが受け取らず救助を拒否! 手を振って沈んでいった、といわれています。
「自責の念だったのかな。」

乗員304人が犠牲者になり、救助されたのは45人(内6名女性)
「せきれい丸」は今もって海底に眠ったままです、木造船ですから船体は朽ち果て内燃機関(エンジン)が墓標となっています。

この「せきれい丸」の沈没が明石海峡大橋建設のきっかけにもなった。

---- 明石海峡を見下ろす鳥ノ山に慰霊塔があります「ご冥福をお祈り致します」----

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by pv1434-1 | 2006-12-09 00:35 | 地 元 & 歴 史 | Trackback | Comments(0)
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